劇団四季【バック・トゥ・ザ・フューチャー】感想「ラストシーンに思うこと」

先日劇団四季のバック・トゥ・ザ・フューチャー(以下BTTF)の2回目観劇に行ってきました。

先行抽選で当たった分で席は後方でしたが、運よく通路側で視界良好。オペラグラス忘れたけど、全然問題なかった!

BTTFの映画のシナリオを知らなかった私、初見で違和感を感じたシーンがあって…2回目で確信に変わりました。

でも同時に納得のいく解釈というか、自分の中で腹落ちさせることが出来たので書いておこうと思います。

ラストシーン、どう思う?

 違和感を感じたシーンは「ラストシーン」。

ラストと言ってもドクとマーティが観客にファンサしながらデロリアンが一回転して、Go to the futureしていくシーンではなく、

マーティの活躍によって未来がガラッと書き換わっているシーンです。

ドクがあれだけ「未来への影響が何たらかんたら」言ってたのに未来はバッチリハッピーな別物に!!

タイムトラベルものによくあるロジック崩壊は別に気にならない。

そういう話なんだ☆で受け止められる質です。

でもさ、さすがにビフ…可哀そうじゃない?

え?可哀そうじゃない…???

だって、ジャイアンがのび太くんいじめてたのをギャフンと言わせても、ちゃんと救済処置があるじゃん。

まぁロレインに手を出そうとした時点でダメかぁ。でもそれもある意味マーティの過去変革の一部だしなぁと。

BTTFの世界って「勝ち組」と「負け犬」を当時のアメリカの価値観で明確に分けてるから、そこにすでに(現代の多様な価値観を持ち込むと)違和感を感じちゃいますし。

その上で分かりやすく勝ち組になったマクフライファミリーとこれまた分かりやすく負け組になったビフ。

構図的には倒した方が倒された方の上に立って、文字通り負けた方は負け犬人生になってしまっている…と。

でもまぁこれは、当時のSF映画、サクセスストーリーとしての面をしっかりと表現しているだけなので、ここで変に現代的価値観に気を使って原作のラストをアレンジした方が酷いことになってたとは思う。

なのでドラ〇もんじゃなくて、アン〇ンマンの世界として楽しむのが正解!

と、初見の時は納得しました。

でも、そう思って2回目観た時もそれなりに気にはなったから、あぁやっぱり自分の中には「違和感」としてあるんだなと再認識。

納得は出来るけど、物語自体のハッピー性に対して若干モヤるのが正直なところかな。

そんな事を思いながら劇場の階段を下りて帰ろうとすると、ふと公演ポスターのキャッチコピーが目に入りました。

ジョージが決めた未来、ビフが決めた未来

日本初演のBTTFに当てられたキャッチコピーは

【未来を決めるのは、いつだって自分だ】

あぁ。そうか。

当たり前と言えば当たり前なんだけど、マーティが辿り着いた未来は決して「あの日すべてが決まった未来」ではないんだ、と。

マーティが関与したジョージの1発KO!為せば成るパンチ!が全てを変えたわけではなく、その出来事をきっかけに大人になるまでに1つずつ未来を決めてきた結果なんだ!

とすると、1955年~1985年までの間にビフがオラオラ系に立ち直るきっかけはいくらでもあったし、ジョージがまたキモモーションも持ち合わせたパパになる可能性はいくらでもあったはず。

そしてそれは未来にも言えることで、床掃除からはじめて市長になれたようにダサジャージからイケイケスーツ出社するようになるビフもこの先いるかもしれない。

次回作が上手く書けずに悩んだあげく、嫁の実家の庭の木の上でこっそり踊るジョージもいるかもしれない。

”未来”を決めるのは、いつだって自分。

そう思うと、ビフが可愛そうという気持ちは自然と消えました。

そして、そう考えるとラストシーンでドクが見てきた未来には一体なにがあったのかな、とワクワクするし、マーティが遡った過去が今を変えたんだからその先の未来を変えるのは「今」でしょう。

ここからいくらでもやり直せる!

あとはお前次第だ!

あるとすればそれは「時間の問題、ただそれだけだ」と。