
楽しみにしていた映画ウィキッド。
公開日のレイトショーで観てきました。
最近は「初日」とか「千穐楽」にこだわる事がなくなったので、マイペースに観に行こうと思っていたのですが、まぁ…ね。凄いのよ。
世の中のプロモーションが。
とにかくコラボに継ぐコラボ。西も東も、都会もコラボコラボコラボ商品。
Xを開けば散財へ一直線。
世の中がこんなにもウィキッドに盛り上がってることが嬉しくありつつも、そんな一大コンテンツであることにちょっと恐怖すら感じるw
少し前までは、四季オタの中でもごく一部がこっそり好きな作品だったんだよ…。
公開日が近づくにつれて、一刻も早く見るべきなのかもしれない…というSNSからの強迫観念を受けて、結局公開日のレイトショーに行くことに決めました。
自然とネタバレも流れてくるから結果、早めに観ておいて正解だったかも。
そして世界がそう叫んでいるように、とても…とても良かった…(噛み締め)
舞台の足りない部分、オタクのこれが観たかったんや…をこんなに丁寧に作ってくれる作品あるんか?という満足度・・・(噛み締め)
映画化の噂から白紙や延期を繰り返してきたけど、一番良い形で世の中に出ることになったのではないだろうか。
初見はやっぱり吹き替え!で観ましたよ。
「最後に幸せならそれで良い」
全体の感想とか、そういうの一回全部置いておいて、いっっっちばん語りたい事を最初に叫びます。
DefyingGravityでエルファバとグリンダ、二人の道が分かれるシーン。
ここが一番良かった~~~~~!!!!!!!
良かったっていうのは映画を観ることで舞台では得られなかった新しい解釈が出来て、それでいてその解釈が凄く好き!!!という事。
何より刺さったのは「I hope your happy in the end」を
「最後に幸せならそれで良い」って訳してたところ。
最後に幸せなら「それで良い」
やばくないすか?
やばくないすか????
やばくないすか~~????
英語詳しくはないけど、HOPEって望んでるって意味ですよね。
「私は最後にあなたが幸せになることを望んでる」ってことなので、「それでいい」っていうのは結構思い切った訳にも感じるけど、これ見た瞬間に前の座席蹴り飛ばしそうになりました(映画館における禁止行為です。やめましょう)
舞台でのこのシーンは大事でありつつも、台詞は少なく割と解釈が難しいシーンのひとつだと思います。
つまり、「一緒に来て!」と願うエルファバに対してグリンダは「YES」「NO」の明確な返事をせずに「あなた震えているわ」と返し(結果的にはNO)、黒いマントをかけてあげるという描写によって
【なぜグリンダは一緒に行かなかったか】
を観る側に一生考えさせるという、あまりにもアリ地獄的罪深いシーンです。
何度も観てきた舞台ではザックリ
・グリンダにはエルファバと一緒に行く勇気がなかった
・ポピュラー的価値観と自由を求めて(DefyingGravity)的価値観の対立(グリンダにはマイノリティを救う理由がない)
※震えてるわよは個人的に、グリンダの震えでもある解釈
というところがメインだと思っています。
このシーンにはもうひとつ印象的なところがあって、決別の直前、エルファバに誘われたグリンダが一度は一緒に「誰にも止められない 自由を取り戻すの 出来るはずよ」(四季歌詞)と力強く歌うということ。
初見でこの歌唱が印象的だと「え???行かないの?一緒に行かないの???」
ってなるwww
その一瞬の力強さと2人のシンクロするでデュエットは、グリンダがエルファバの(意志という)魔法にかかったようにも見えるし、グリンダも本当は人気取りという世の仕組みに対して本当の自由が欲しいのかもしれない…とさえ思わされます。
でも震えに気付いた瞬間、正気に戻る。
少し酷な見方をすると、友情より互いの生き方の価値観を取ったシーンにも見えます。(互いの幸せを望んでいるので友情が壊れた、というわけではないけどね)
どちらにしても、互いの幸せを望みながら違う生き方を選んだという決定的なシーンです。
この受け取るのが難しいシーンで放たれた「最後に幸せならそれで良い」という翻訳。
映画では前後のシーンが丁寧に描かれていることもあって、この翻訳を見てグリンダがなぜDefying Gravityをノリ気で歌ったのか瞬間腑に落ちました。
「I hope your happy in the end」の前にエルファバはグリンダと二人なら可能性は無限大!最高のチーム!だと歌っていて、ここに関してはグリンダも完全同意なわけです。
二人一緒ならなんだって出来る!とグリンダも感じているからこそ、力強く歌います。
なのになぜ一緒に行かないのか。
それはグリンダの場合は変えるなら内側から。つまり、二人一緒にここに残れば可能性は無限大だと思っているから。
対するエルファバはここから二人で飛び立てば可能性は無限大!なわけだ。
この「最後に幸せならそれで良い」には、「今、違う道を選ぶ」というニュアンスが強く表れていて、今相手が取る行動(選択)がお互いに間違ってると思っていることが見て取れます。
舞台では「謝っちゃいなさいよ!」の台詞と共に秒速で進んでいくシーンも、映画では丁寧にグリンダがエルファバの「瞬間的な感情に任せた行動」に対して怒っていることが伝わってくるので、これまた分かりやすい。
互いに二人一緒なら現状を変える力が自分たちにあることを理解している。
でもそれに対て、ここに残ればそれが出来ると思うグリンダと、飛び立ってそれをしたいエルファバ。
グリンダはオズの魔法使いたちの人気を上手に使うべきだと思っているし、エルファバは間違ったやり方に決して屈してはいけないと思っている。
「Unlimited」と歌った時に同じ未来を見たかもしれないけど、そこへいくプロセスは決定的に違うわけです。
そして、お互いのことを良く知っているからこそ、これ以上言葉で説得しても相手が自分と同じ方法を選ばないことを悟ります。
「幸せを望んでる」とか「祈ってる」とかそういう柔らかい話じゃなくて、諦めもあるし、相手の覚悟を受け入れた感もあるし、友達として相手の幸せを願わないではいられない感もある。
その全てを含んだアナタはそういう人だよね、感がたまらん。
ぶつかってきた、本質的には相いれない二人だからこそ「最後に幸せならそれでいい」って歌詞が凄く良い。
好き。
本当は一緒に来て欲しい、本当は一緒に残りたい、それが正しいと信じている。それでもどうしても同じ道を選べない、だからせめて選択の先、最後にあなたが幸せならそれ「で」良い。
「親友と呼べる大切な相手がいて。ど~~~しても変えられない相手の選択(自分は間違ってると思ってる)に対して、最後に幸せならそれでいいから」っていうのやばくないすか?
このもどかしさ100点満点!!!
四季の歌詞は「選んだ道ならば 悔やまない決して」なので、こういうニュアンスは入ってこないし、舞台版グリンダは日寄った感も強いから、映画館で
「めえぇぇぇぇぇぇ~~~~~」ってヤギ化するところだった。
そしてね。世の中の政治の世界とかって、だいたいそうだよね。
よほど腐りきった思考でない限りは、よりよい世界に。より良い政治に。目的は同じハズ。でもやり方は全然違うし、それぞれが正しいと思う道を進むしかない。
ファンタジーの中にあまりにも現実(リアリティ)が投影されているウィキッドらしさ満載だと思いました。
めえぇぇぇぇぇぇ~~~~~。
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